【峰雅樹のホームページ】経歴・取組み内容等
【経歴・取組み内容等】
- (1) 昭和36年(1961年)2月
- 唐津市山本で国鉄職員の兼業農家の次男として出生。
- (2) 昭和36年(1961年)2月〜48年(1973年)3月:幼少〜小学生
- 古き良き時代で、野や川や山に遊ぶ元気な子供らしい子供。ソフトボールや元気よく歌うのが好き。学年2クラス、よく学級委員にもなっていた。小学3年生の頃、人生は限りがあると気づいたが、人のためになる生き方をしようと思ったことで気が楽になった。小学校6年時に子供クラブソフトボール校区大会優勝し、市大会参加(キャッチャー)。
- (3) 昭和48年(1973年)4月〜51年(1976年)3月:中学生
- 1学年3クラス、まだ小学生時代の延長の部分もあった。中学3年生の頃は自分の能力の限界を感じ始めていた。生徒会議長や副会長、テニス部キャプテン(実力は普通)。中学1年時に子供クラブソフトボール2年連続市大会参加、市大会準優勝(キャプテン、6番キャッチャー)。
- (4) 昭和51年(1976年)4月〜54年(1979年)3月:高校生
- 唐津東高等学校。帰宅部。特に目立たない子供っぽい普通の高校生。高校2年時後半から、大人への脱皮を模索。
- 高校3年時のソフトボールクラスマッチで6番セカンドで出場、打席に立った際に、男子クラスの多くの友人達から名前のコールを受け、友人への感謝とともに自分の努力不足を悔やむ。試合中、気が付けば、セカンド後方のボールを必死に追いかけて捕っていた。今は無力でも、これから自分を磨き続け、誰にも負けないような日本一の男になりたいという気持ちを持つ。まずは、3年程度をかけ自分の考えを持つことを決心【第2ステージ突入】。
- 高校3年時、自宅で一生懸命勉強に励む。
- (5) 昭和54年(1979年)4月〜58年(1983年)3月:大学生
- 九州大学経済学部経済工学科、福岡市1人暮らし。サークルは入っていなかった。自分の考えを持つため、心の旅や試行錯誤を続けたが、大学2年時後半には困難と思い挫折感を感じる。その後、静かな気持ちとなり、達成感も感じる。
- 唐津市の成人式では、学校代表で壇上にいたが、胸の高鳴りが数分間続いた後、静かな気持ちとなった。この3年間、自分なりに努力したんだなと思うとともに、この気持ちで今後も一生懸命の気持ちを持って突っ走ろうと考える。
- 大学3年時は大学・アパートの一室で一生懸命勉強。大学4年時前半は県庁試験に向けラストスパートの勉強。
- この頃、トマトジュースや野菜ジュースが健康によいと思い始める。
- (6) 昭和58年(1983年)4月:佐賀県庁就職
- 就職を機に唐津市に戻る。新採時の目標は県教育長。(残念ながら実現できず。)
- (7) 昭和58年(1983年)4月〜58年(1983年)4月:福祉課老人福祉係
- (8) 昭和58年(1983年)5月〜61年(1986年)3月:唐津県税事務所納税課
- 税滞納金の徴収担当。積極的に訪問徴収した。
- (9) 昭和61年(1986年)4月〜平成2年(1990年)3月:教育庁総務課庶務係・財務係
- 庶務係では事務費支出と庶務一般及び教職員定数を担当。児童生徒数水増し問題があり、担当として全県調査を企画し実施した。財務係では授業料減免、教材備品予算、養護学校の予算取りまとめ等に取り組んだ。
- (10) 平成2年(1990年)4月〜7年(1995年)3月:経営指導課・金融商業課金融係
- 県制度金融・信用保証協会や信用組合を担当。松浦信用組合の佐賀銀行への事業譲渡の担当として、計画策定、欠損金の支援策策定、銀行側資産査定の調整など、譲渡事務の準備、実施等を行い、平成6年10月に事業譲渡を実現。
- 平成2年10月結婚を機に佐賀市本庄町の職員宿舎に転居。平成6年3月佐賀市兵庫町(現:兵庫南)に転居。
- (11) 平成7年(1995年)4月〜8年(1996年)12月:世界炎の博覧会事務局催事課
- 世界炎の博覧会のイベントを担当。フレイム24ミュージカルチームの立上げ、イベント広報、イベント協賛依頼、有田会場のイベントや催事の参加者との調整等を実施。
- (12) 平成9年(1997年)1月〜12年(2000年)3月:漁政課漁業調整係
- 200海里施行予定に伴う200海里内での4魚種の漁獲量管理や外国水域操業許可の支援業務等を担当。馬渡島等のフグはえ縄漁船の韓国水域操業、許可取得や操業方法等の説明・支援等を実施。
- (13) 平成12年(2000年)4月〜15年(2003年)3月:企画調整課企画調整主査
- @ 佐賀銀行総合企画部派遣研修
- 佐賀銀行総合企画部に1年間派遣研修。経済リポートの作成担当。民間企業を経験、思考の幅が広がる。この時から、経済紙は20年超購読、民間的発想に好影響。
- この頃、弱アルカリ体質がよいと再認識し、アルカリイオン水で抗酸化作用のあるお茶を毎日飲むことを始める。
- A 企画調整課企画担当
- 政府予算提案の県全体のとりまとめ等を実施。鳥栖丘陵の開発土地の大学等への売却等の担当、アウトレットモールの土地購入話が持ち上がる。
- (14) 平成15年(2003年)4月〜18年(2006年)3月:商工課企画調整主査・係長、新産業課係長
- 財団法人佐賀県地域産業支援センター(現:公益財団法人佐賀県産業振興機構 佐賀県産業イノベーションセンター)に3年間派遣。経営支援課長や経営支援チームリーダーとして、創業やベンチャー支援を実施。ベンチャーを目指す企業の方の前向きな取組みを体感できるとともに、支援能力向上を研鑽。
- ベンチャー企業者との勉強会で、自分のミッションステートメント(いわゆる「企業目標の提示」)を初めて整理、その後も微修正を続ける。
- (15) 平成18年(2006年)4月〜20年(2008年)3月:建設技術課副課長
- 建設技術課の建設業許可、建設工事入札参加資格、建設工事入札制度、建設業新分野進出等の担当副課長。建設工事入札制度の全面改正を行うこととなり、条件付き一般競争入札の全面導入、入札参加資格の等級枠の設定等の担当や事務的とりまとめを実施。
- この頃、数年前から考えていた佐賀県民行動指針七箇条条例の案を文字で初めて整理、その後も微修正を続ける。
- (16) 平成209年(2008年)4月〜22年(2010年)3月:県立学校再編整備室副室長、学校再編・新太良高校準備室室長
- 県立学校の再編計画の推進、県立学校の学級数の確定、高校入学者数の公私比率検討及び私立側との協議等を実施。室長時代は太良高校改編計画の策定のとりまとめを実施。県議会常任委員会で太良高校改編について答弁。
- (17 )平成22年(2010年)4月〜24年(2012年)3月:監査委員事務局監査監
- 行政監査、財政的支援団体、住民監査担当の監査監。住民監査では、県警電子申請システムや県議会政務調査費の住民監査の事務的とりまとめを実施。
- (18) 平成24年(2012年)4月〜27年(2015年)3月:県立図書館副館長
- 図書館システムの更新、県立図書館好生館分室開設、大和書庫の整備や図書館の耐震工事について、担当やとりまとめを担う。図書を利用した経営相談も実施。図書館勤務となり、自分のミッションステートメントに、文化を尊び、皆とともに、新たな文化を築き上げるを追加する。
- この頃、人間の健康には亜鉛が重要ということを認識。
- (19) 平成27年(2015年)4月〜30年(2018年)3月:県産業技術学院副学院長
- 県産業技術学院では、総務事務や庁舎管理、工事事務等をとりまとめ役や担当者・側面支援者として実施。ものづくり人材育成、在職者訓練、民間委託訓練などの取組みを側面支援。
- 平成27年度頃、県庁で昇格する困難さを実感する。一方で、達成感と清々しさも感じ、自分が求めていたものの一つが人間としての成長であることに気づく。また、目標が達成できなくても、達成感を感じれることを認識する。自分のミッションステートメントに、「心の余裕と調和、恕(おもいやり)の心」を加え、人生の第3ステージに入ろうと考える【第3ステージ突入】。
- 平成29年度頃、県庁退職後も挑戦の気持ちを持つことを考える。
- (20) 平成30年(2018年)4月〜31年(2019年)3月:武雄県税事務所副所長
- 武雄県税事務所では、総務事務のとりまとめ、総合庁舎の庁舎管理、課税事務の確認等を実施。滞納処分の効果を確認するとともに、県税の重要性について、再確認。
- 出勤前等に毎日45分程度、台昇降、腹筋、腕立て等の運動の日課を開始、現在も実施継続。
- (21) 平成31年(2019年)4月〜令和3年(2021年)3月:九州陶磁文化館統括副館長
- 県組織での所属長として、より高い判断等ができるよう、これを機に人生の第4ステージに入ろうと考える【第4ステージ突入】。
- 館の統括として、総務事務、庁舎管理、各種契約、工事等のとりまとめ、学芸業務の側面支援を実施。九陶初の実行委員会方式である[ 有田×野老 ]展の開催委託や第4展示室の展示内容の全面リニューアルなどで事務的とりまとめや側面支援を担った。
- 令和3年2月28日60歳の還暦を迎え、挑戦の気持ちを継続することを目標に、人生の第5ステージに入ろうと考える【第5ステージ突入】。
- 令和3年3月38年間の県庁職員退職。
- (22) 令和3年(2021年)4月〜令和4年(2022年)12月:学校教育課主査(再任用)
- 総務事務、後援事務、小中学校・県立学校の文化庁の巡回・派遣公演事業等担当。再任用者としての取組みも日々体感。
- 令和4年12月1年9か月間の再任用職員退職。(現役を含め39年9か月の県庁職員終了。)
- (23) 令和5年(2023年)1月〜4月
- 令和5年4月の県議会議員選挙に無所属で挑戦、事前政治活動は個人、選挙運動も少人数で挑戦し、県議選1495票。当選にはかなり遠く落選。
- (24) 令和5年(2023年)7月〜
- 国地方機関一般相談員。
峰雅樹、令和5年4月の県議選1495票でした。当選にはかなり遠く落選となりました。個人活動での挑戦の中、1495人の投票をいただいたことに心から感謝いたします。
私の高校生からの旅もここまででした。ありがとうございました。
峰雅樹、今後どのような気持ちになるのかも、自分を見つめていきます。